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日本で最初に発行された切手をご存知でしょうか?
それは1871年(明治4年)に発行された「竜切手」と呼ばれる
もので、下記の4種類があります。
・48文切手
・100文切手
・200文切手
・500文切手
いうまでもなく文(モン)というのは当時の通貨の単位で、
例えば今でいうなら「48円切手」「100円切手」・・・と
いった感じです。
文単位の切手は後にも先にもこの4種しかありません。
僕は先日ネット・オークションで100文と200文を買ったの
ですが、今回は48文を買いました。
さきほど事務所に届いたやつをシゲシゲみていたのですが、
ひとつだけ疑問がわいてきました。
なぜ48などという中途半端な額面にしたのでしょうか、
しかも日本で最初に発行された切手が・・です。
500、200、100とくればフツー50でしょう・・・
前島密さんが「ここは50じゃなくて断固48ダ!」といったの
でしょうか・・・
それとも大久保利通が「そのうち消費税を作るから、前島よ
いまは48で止めとけぇ〜」とでも言ったのでしょうか?
この辺の経緯もしご存知の方がいらっしゃったら、教えて
頂けないでしょうか。
でないと知るまで気になる・・・
(そして一週間が過ぎ・・・)
先週「48文切手」の不思議について皆さんにお尋ねしたところ、
以下のようなメールを頂戴しました!
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初めてメールを差し上げます。
「一緒に歩もう!小富豪への道」を毎回、興味深く拝読しております。
私自身は、2005年から拝読しております。
さて、48文切手の話ですが、明治に入ってまだ通貨改革が実施されず、
江戸時代の通 貨単位のままだったためです。
また、48文という端数額面ですが、江戸期には100文以下の勘定を
九六勘定とする慣習 があったため、100文の半額(=48文)だからでは
ないでしょうか?
ここで、九六勘定ですが、短陌(たんぱく)とも言い、近代以前の
東アジアで行われて いた商慣習です。
「100枚以下の一定枚数によって構成された銅銭の束(陌)
を銅銭100枚(=0.1貫)と 同一の価値として扱う」
というのがルールです。
日本においては、銅銭97枚をもって100枚とみなす商慣習があったと
言われており、ゆえに、「銅銭96文をもって100文」とされ、
この半額だから、50文の端数である48文。
ここから、竜文切手と呼ばれる48文切手が発行されたのだと思います。
ご参考になりましたら幸いです。
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Hさん!誠にありがとうございます。
48文の裏側にこんな深い歴史が隠れていたのですね。
それにしても九六勘定ですか?
大久保利通が「そのうち消費税作るから、50よりちょっと下目の
値段にしとけ〜」と言ったわけではなかったのですね、
それにしても「96文をもって100文とする」というのは、いかにも
東洋的で面白いですねぇ。
ますます興味がわいてきました、96文で100文の買い物ができれば
4文の得ですよね、一種のボリュームディスカウントでしょうか、
それとも銅の地金の節約でしょうか・・・
よく時代劇などで一文銭を紐に通し、商いに使うシーンを目にしますが、
じつはあれは百枚ではなく96枚だったのですねぇ。
とてもよい勉強になりました、あまりに面白いのでこれからも
少し96勘定について調べてみようと思います。
あとNさんもありがとうございました、またいろいろ教えてくださいね。
(2010年3月9日)
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