少子化は危機か?
皆さんこんにちは。
世の中で一般的によく言われていることの中には決して「鵜呑み」にしてはいけない事がたくさんあります。
エコノミストや学者、マスコミが言うことを「鵜呑み」にし、方向を誤り、その結果大きなチャンスを逃してしまう、(あるいは大きな損失を被ってしまう)実はこういうことは世の中によくあることです。

例えば私は「少子化問題」はこういうことの一つだと思っています。
よく少子化が進むと、経済成長率が低下し(もしくは経済的な縮小が起こり)国民の持つ富が減り、さらには国全体の富も減少し、国としての相対的な地位が下がってしまう。
場合によっては、世界の二等国になってしまうなどとよくいわれたりします。
もしそうなってしまえば、私達は自らの資産を防衛するために即刻、手持ちの全資産を日本という国から切り離してしまわなければなりませんね。
言い換えれば、ご自分の資産と日本円との連動性を完全に断ち切るという事です。

さし当たっては

・外貨建て資産(株、債券、不動産)
・通貨から隔離された、絶対的な価値を持つ資産(貴金属を含むコモディティ)

あたりへお金を移すという事になるでしょう。
仮に世に言われるように「少子化」=「日本二等国化」という理論が正しければ、上記のような選択は間違いなく正しいでしょう。

が、果たしてそうなのでしょうか?
私はこの単純な図式には違和感を覚えてしまいます。
例えばです
今後の我が国の総人口が減少するのは間違いないでしょう、さらにGDPと密接な関係がある「労働者の数(生産年齢人口=15歳~64歳の人の数)」も間違いなく減るでしょう。

でも一方では、世の中には十分に活用されていない労働力はいくらであります。
例えば、ニートや主婦、場合によっては65歳以上の高齢者・・・
実に社会全体にとってもったいない話ですね、これらの待機労働力を活用すれば、まだまだ日本は労働力を確保できる余地がある、私はそう思います。
これだけではありません、私は大企業という組織の中に長らく身を置いてきた人間ですのでよくわかりますが、特に大企業の中では自らの能力を活用できていない(あるいは活用させてもらっていない)不幸な人材がヤマほどいます。

企業が従業員を湯水のごとく浪費できる時代は終わりました。
言い換えれば、従業員一人ひとりの能力を積極的に引き立てて利用しなければ企業が立ちゆかない時代になるということです。
私自身は(特に)大企業の従業員にはむしろ「少子化現象」は朗報なのではないかと思いますし、また彼らには時代のニーズに応える潜在力が十分にあると思います。
あるいは生産性という観点で見ましても、同様のことが言えます。
例え、労働力が減っても、ひとりひとりの生産性を上げる事により、十分に社会全体としての生産力は維持(拡大)できると思っています。

歴史を遡れば、我が国は技術革新による生産性向上を実現し続けてきまた。
キャノンのセル方式、トヨタのカンバン方式、・・もっと遡れば16世紀に起こった、鉄砲の量産システムの確立・・・18世紀の堂島の米の先物取引場の創設などもこの類に入れてしまってもよいのかもしれません。
このように考えてくると、世によく言う「少子化」=「二等国化」理論はあまりに短絡的で表層的なものの見方のように思えてしまうのです。

今の日本買い相場は外国人が主導していますが、案外、外国人は我が国のこういった潜在力にまで、既に目を向けているのかもしれませんね。
いずれにしても、論理的な裏づけの少ない過大な悲観論(場合によっては逆に楽観論であったりもしますが)には私達はしっかりと向き合い、自らの思考力で判断しなければならない・・・そういう気がします。
これが出来る人と、出来ない人では数年後の持てる資産の総額において、随分大きな開きが出てくる・・・
そういう気も致します。

今回はこのへんで。

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