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日本人のモノ造りDNA
今回はやや長い視点で、日本の行く末について考えてみたいと思います。
最近は韓国のサムスン電子や米国のアップルの活躍が目立ちます。それに対し、日本の製造業はなんとなく活気がないですね。
元気なのは、トヨタ、キャノン、日本電産、シャープなど優秀な経営者に率いられた一部の会社だけです。残念ながら、ソニーも一時の勢いはなくなってしまいましたね・・・OBとしては寂しい限りです。

では、今後日本の製造業は衰退に向かうのでしょうか?

●労働人口の減少
●労働分配率の低下に伴なう、購買力の低下
●税率アップにによる可処分所得の減少
●新興国の台頭に伴なう競争力の低下


などなど、悲観的な材料をあげればきりがありません。
私なぞは株式投資に対し、中長期的なスタンスで臨んでいますので、ここの見極めは極めて重要です。
私たちは、将来のことを予測するのは難しいですが、過去に起こった出来事についてはほぼ正確に知ることができます。

ずいぶん昔のお話をしましょう。
日本に初めて鉄砲が伝わったのは1543年とされています、例の種子島のポルトガル人のくだりです。当時の種子島の島主は2000両という大金をはたき、ポルトガル人から鉄砲2丁を買い求めたそうです。
彼は当時の種子島の職人に対し、さっそく鉄砲の生産を命じました。特に、鉄砲のオシリの部分の溶接の方法が難しく、随分と苦労したそうです(当時は”ネジ”という概念が日本には無かったのですね)。

その”ネジの切り方”については、当時の技術者が自分の娘を嫁がせる事により、ポルトガル人から教えてもらったという悲しい伝説も伝わっています。
いろいろな説があり、上記のお話の真偽は定かではありませんが、鉄砲が日本に伝わった時期が1540年前後であることは間違いないようです。 それからわずか20年後、日本は世界で有数の鉄砲生産国になっています(当時ヨーロッパからアジアにわたる大帝国を築いていた、オスマン・トルコ帝国とちょうど同程度の生産規模だったそうです)。

もちらん日本より早く鉄砲が伝わったと思われる、インドやアラブの国々で鉄砲が生産されていたという記録を私は見たことはありません。
同じような出来事が、幕末にもありました。
1853年、当時の日本人は米国のペリーが率いた蒸気船を、初めてみたわけですが。その3年後には早くも3つの藩が相次いで蒸気船の試作を成功させています(ただし、実用レベルには達していなかったそうですが)。
当時の科学技術のレベルは蒸気船を見て、少なくとも「これなら自分たちで作れる」と思わせるレベルに達していたのでしょうね。

ちなみに、上記の3隻のうち1隻の開発に携わった"からくり儀衛門"こと田中儀衛門はその後、東芝を創設しています。
船つながりでいうと、それからわずか50年後、当時有数の海軍国であったロシアのバルチック艦隊をことごとく日本海に沈めています。 こうやって過去を振り返るにつけ、私たち日本人の血の中にはモノ造りに対する強い執着心が刻み込まれていると思えてならないのです。

人間がDNAを伝えてゆくのか、DNAが人間を導いてゆくのか・・・
どうやら、このモノ造り好きのDNAは、日本人を世界の表舞台から退場させることを許さないような気がします。
私は、日本の製造業は買いだと思っています。

では

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