国家の品格と村上ファンド〜その1
皆さんこんにちは。
少し前、藤原正彦さんがお書きになった『国家の品格』という本を読ませて頂きました。 なかなかよい本だと思いました、この方の主張は一貫していましてほぼ全章を通し

・私達日本人はその長い歴史の中で培ってきた、独特の「情緒」や「形」という民族としてのオリジナリティを失ってしまった。
・特にマネーの点からは、額に汗して働く事を忘れ、米国流の無節操なマネー貪り行為が横行している。
・我々日本人はもう一度国家としての「品格」を取り戻し、世界に向かって垂範して行かなければならない。

というものです(すみません藤原さん、少し端折りすぎているかもしれませんが、概ね・・)。

私自身としては誠に深く同意できる部分と、クビを傾げたくなる部分がありました。
また、ここのところ村上ファンドの件がありましたので、この書物とこの事件を結びつけていろいろ考えさせられるところもありました。

今回はそのお話をさせて頂きます。
世間の村上さんに対する評価は、40%が否定的、30%が肯定的というところでしょうか・・
肯定的な見方をする方は、日本の企業の経営効率の向上に役立ったと考えているようですし、否定的な見方の論拠は、上記『国家の品格』の主張とほぼ重なっているように思います。
世の中には今まさに『非効率排除派』と『国家品格派』の両極端な考え方が混在しているように思います。

では、そもそも『国家の品格』と『経済的な非効率性の排除』は相容れないものなのでしょうか。
世の中にはさまざまな経済上の「歪み」「非効率」があります。これらは人間が長い間、営みを続けてゆくと必ず生じてくるように思います。
この「歪み」や「非効率」はやがては社会の生産性を低下させ、一国の国力をも徐々に衰退させてしまうようです。

では「歪み」「非効率」はどのようにして取り除いてゆけばよいのでしょうか、私自身は二つの方法しかないと思っています。
まず一つ目は「歪み」「非効率」を収益の機会とし利用するマネーによる、云わば外側からの圧力による方法。
二つ目は、その社会の住人ひとりひとりが自ら「歪み」「非効率」を身にまとわない事・・これは言い換えれば藤原さん流の『国家の品格』の行き着く先かもしれません。
人は目先の利益に弱いものでもありますし、いくら高潔な人格の持ち主も、
マネーというインセンティブがなければ、自らの意志で日々高い生産性を
維持するのはなかなか難しいものでもあります。

藤原さん流『国家の品格』論も、精神としてはよく理解できるのですが、
品格論だけで「歪み」や「非効率」を自らの手で取り除くことができるでしょうか。
「歪み」「非効率」が増大してゆくと、国家はその経済力において衰退してゆきます、衰退してもその精神の高潔さを保つだけで十分ではないかと藤原さんは考えておいでのようですが、果たしてそうでしょうか。
歴史的にみて貧困な国には決して豊かな文化は育ちませんし、人々の心は退廃してゆき勝ちです、私はそのような国が世界に向けて精神面で垂範できるとは思いませんし、ましてや世界から尊敬されるとも思いません。

額に汗して働く事はもちろんなにより重要なことですが、やはり「歪み」
「非効率」は悪だと考え、それを是正する圧力を何らかの形で私達は肯定して行かなければならないのではないでしょうか。
報道されていることが事実だとすれば、村上さんのやりかたは(ご自分で「時代のあだ花」だとおしゃっているように)稚拙で狡猾ではありますが、
我が国に初めて「非効率是正文化」を持ち込んだという意味では大いに貢献したのではないでしょうか。

投資ファンドの卸もとの米国でも、村上的露骨なM&A時代は既に過ぎ去り、ある意味『品格』の高い、長期的な視野に立った企業再生型のファンドが主流になっています。
村上さんの手法はいろいろな問題を含んでいたようですが、だからと云ってこの「歪み」「非効率」を外部の力によって是正する流れを止めてしまってもよいのでしょうか。
私はむしろもっとこの仕組みを洗練させ、ファンド運営上の『品格』にまで高めてゆくべきだと思いますし、そこには確かに日本人独特の高い倫理観が要求されることになると思います。
もちろんファンドだけに頼っていてはだめで、政治の出番はもっと大きいはずです(改革を加速させ、効率のよい行政システムを作って欲しいものです)。
私などは逆にこのような方法での効率性の追求なくして、『国家の品格』を取り戻すことはできないと思うのですがいかかでしょうか。
では 今回はこのへんで。

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