国家の品格と村上ファンド〜その2
皆さんこんにちは。
前回同じタイトルで書かせて頂いたのですが、読み返してみてどうも舌足らずのような気がしています・・・
今回は前回書ききれなかったこと、あらためて私自身が皆さんから頂いた感想から感じた事、その結果思い至ったことなどを書かせていただきたいと思います。

私は大学四年生の頃(何と23年も前のことです)中国に貧乏旅行に行ったことがあります。
当時の中国はまだ共産主義が一枚カンバンで、民間の外国人がようやく旅行目的で入国できるようになったばかりでした。
その時の人民元の為替レートはもう記憶に残っていませんが、確か日本を出るとき25万円ほど財布に入れて旅に出たのですが、一ヵ月後日本に帰ってきたとき、まだ10万円程度は財布に残っていたような記憶があります、物価も余程低かったのでしょう。

ホテル一泊 200円
電車賃(相当長く乗っても)一回300円
食事一回 70円

確かこんな感じで・・・いつまでたっても財布の中のお金が減らなかった、 そういう記憶が残っています。

先ほど書かせて頂いたように、当時の中国は今のように経済は資本主義、政治は共産主義と器用に使い分けてはおらず、共産主義一枚カンバンでそれっきりの国でした。
私は特に何の目的もなくその中国をほっつき歩いていただけですが、今にして思えば実に多くのことを学んだ気がします。

そもそも共産主義というのは、個人の財産や一切の階級を認めません、いってみれば人間が生まれながら持っている欲望とは宿命的に相容れない部分があるわけです。
確かに共産主義というシステムは人間の未来にとって、理想的なシステムかもしれませんが、悲しいかな現代人には『欲望』というやっかいなものがあります。
「もし共産主義というシステムが有効に機能するとしたら、それは現代においてではなく、恐らく遠い未来、私達の何十代か後の子孫の時代まで待たなければならないかもしれない・・・進化した私達の子孫は欲望を制御できるようになっているかもしれない・・・」
生意気にも大学四年生の私は、このようなことを考えながら中国の人たちの中をさまよっていたわけです。

前回のメルマガに対する皆さんの感想を読ませて頂いているうち、なぜか私は23年前に中国で考えたこのことを思い出してしまいました(ということは私はこの23年間、あまり進歩していないのかもしれません)。
『国家の品格』・・・日本人には営々として築いてきた品格がある、欧米流の効率重視主義など必要ない、むしろ有害だといいますが、本当にそうなのでしょうか。
私達は歴史的にずいぶんと外国の文化、考え方、システムなどを積極的に受容してきました、いいことも悪い事も・・・その中から私達にあったものだけを取り入れ、さらにカタチを変えて使用してゆく・・私達の歴史はこの連続だったのではないでしょうか。

今回の村上ファンドやホリエモンの一件も、同じようなことだと言えないでしょうか・・・悪い事も良い事も一旦すべて受容してみる、その後で日本人に適したカタチに変えてゆく。
「我が国は品格が高い!」「欧米流の効率追求文化は入れるな!」などと声高に叫んで外来のシステムをシャットアウトしてしまえば、その時点で私達は進歩を止めてしまうことになりはしないでしょうか。
このような態度は過去の我が国の歴史から見て、異質なものでもありますし、進歩を止めてしまった時点で『品格ある国』への道も閉ざされてしまう、このように思うのですがいかがでしょうか。

私などは、これからも私達は外部のものをドンドン取り入れ、さらに進歩(あるいは進化か)し続けたその先に、品格論を語れるような時がくればよい、そのように思うわけです。
あと数ヶ月で政権が代わります、おそらく保守化する世論を機敏に察知し、かつての守旧派により今までの流れを逆流させようとする動きが出てくることでしょう。
今ならマスコミもこれに賛同するかもしれません。
『品格論』が利用されることにならなければよいのですが。

私は少し不安です・・・

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