アメリカの強さ
皆さん、こんにちは。

最近の米国政府のサブプライム問題への対応を見ていると、
まだまだ「米国の活力は失われていないな」という気が致します。

欧米のメディアによる報道や、先日のダボス会議では、
米国政府のリーダーシップの欠如や、FRBの対応の遅さに対する
批判が随分出ていたようですが、私などは(いつも日本政府の対応の
遅さに慣れてしまっているせいか)むしろ彼らの危機感の強さと対応の
速さに一種の頼もしさすら感じてしまいました(恐らくこれが日本人の
一般的な感想ではないでしょうか)。

我が国ではバブル崩壊時(1989年)から株価が底を入れ、本格的に
上昇に転じるまで、実に13年という月日を要していますが、その間
日銀や政府はいったい何をしたでしょうか・・・

以下は我が国のバブル崩壊前後の、政府および日銀のとった対応です。

・1989年10月 日銀による公定歩合引き上げ(3.75%)
・1989年12月 同上(4.25%)
・1989年12月29日 日経平均株価38,915円を記録
・1990年 1月 株価暴落の始まり
・1990年 3月 公定歩合引き上げ(5.25%)
・1990年 8月 同上(6.0%)
・1991年 3月 景気後退局面に入る
・1991年なかば 地価暴落の始まり
・1991年 7月 公定歩合引き下げ(5.5%)
・1991年11月 同上(5.0%)
・1991年12月 同上(4.5%)
・1992年 4月 同上(3.75%)
・1992年 7月 同上(3.25%)
・1992年 8月 日経平均株価15,000円割れ
・1992年 8月 政府による総合経済対策
・1993年 2月 同上(2.5%)
・1993年 9月 同上(1.75%)
・1995年 4月 同上(1.0%)
・1995年 9月 同上(0.5%)


このような一連の対応の中で、特に目を引くのは「初動の遅れ」です、
例えば1990年の初頭に既に株価は急落し、日経平均株価は30,000円を
割っています、さらに同年10月には20,000円に急接近、最高値から
約50%近い急落となりました、にもかかわらずご覧のように日銀は逆に
その間、公定歩合(当時の政策金利)を逆に0.75%も切り上げ6.0%とし、
しかもその水準を11ヶ月間維持しています。

あるいは政府の財政出動も同様、上記のように第一回目の景気対策を
打つのはバブル崩壊後20ヶ月経った1992年8月ですが、その時点では
すでに株価はピークから60%以上下げていました。

さらにその対策の中身をみても公共投資が中心、本来は金融機関
が抱える不良債権処理という本丸を目がけて行われるべきだった
はずです(対策がその本丸に達するのは、何とそれから11年という
月日と120兆円というマネーが投じられた後のことです)。

ご参考までに株価急落の真っ只中、1991年版の「経済白書」
の一部を御紹介しましょう。

『資産価格の沈静化の景気に対する影響を過度に恐れる必要は
ない、また、地価については、株価にくらべると影響の度合い
は弱いと考えられ、景気に対する影響を理由として、地価水準
訂正のための土地政策を先送りすべきではなかろう』

(「日本経済にいま何が起きているか」岩田規久男著 より)

例によって難解な文章ですが、要するに「株価は急落しているが
景気は心配ない、地価に至っては株価より下落は小さそうなので、
今までどおり地価抑制政策を維持する」といったところでしょう。

確かに1989年時点の株価や地価は極度のバブル状態であったことは
間違いなく、当初は加熱した景気を抑制することに重点が置かれて
いたのはよく理解できます、ただそれを加味して考えたとしても、
当時の対応はあまりに認識が甘く、配慮を欠いた対応といわざるを
得ません。

翻って今回の米国の一連の対応をみるとどうでしょうか・・・

打つ手の早さの点、危機に向け一致して対応しようとする姿勢の点でも、
やはり米国の政治システムはまだまだ老朽化しておらず、
国としての活力は決して失われていないなという気がいたします。

私はかえって自分の国の行方のほうが心配になりました・・・


では、今回はこのへんで。
(2008年1月29日)




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