「うまくやってよ」の文化とグローバル化
皆さん、こんにちは。

私は昔から「うまくやってよ」とか「うまくやろうよ」
という言葉が大好きです。

いろいろな深い意味が凝縮されたこの言葉の良さは、恐らく日本人
にしか理解できないと思うのですが、あえて(例えば欧米人に)この
言葉の持つ微妙なニュアンスを、文字の羅列によって伝えるとする
ならば、

『お互いの利害を極度に侵害しないよう節度を守りながら、
また同時に、周囲の利害関係者に迷惑をかけない範囲の中で、
一定の自己犠牲を払いながらも適度に儲けてくれ(もしくは、儲けよう)』

こんな感じになるのではないでしょうか。

もちろん欧米にも同様の単語や言い回しはありますが、そもそも
彼らとは文化的な土壌が異なりますので、いくら同じような
意味を持った言葉を羅列してみたところで、彼らは事の本質に
おいて(恐らく永遠に)「うまくやろうよ」という言葉の意味を理解
することはないでしょう。

私は日本人がこの国のながい歴史の中で築いてきた文化は、世界に
誇れる一級品の文化だと思います、例えば先ほどのように
「うまくやろうよ」と一言いうだけで、経済活動における一種の自主規制
のようなものが出来てしまうという不思議さをみても、その背景に
日本人がながい歴史の中で築いてきた倫理観、あるいは長期的視点
に立つ計数感覚といった高い文化の一端をかい間見ることができます。

ただ非常に残念なことではありますが、私たちが築いてきた文化は
世界的にみるとむしろ特異な文化であり、例えば欧米の敵対的資本
に対し、いくら「うまくやろうよ」といってみたところで、彼らは
その意味を理解するとはとうてい思えず、むしろ得体の知れない文化を
背景とした相手として、会話を閉ざしてしまうかもしれません。

「うまくやってよ」ではなく、文字の羅列においてルールを
完結できるよう、私達の文化のありようも変えてゆかなくては
ならないのでしょうか・・・

一方で逆に、欧州起源の文化で日本人が理解できないものもあります。

例えば「Trsut=トラスト」という言葉。

日本語では「信託」と訳されて日常使われていますが、おそらく本当
のTrustの意味を日本人は理解できないのではないでしょうか・・・

そもそもTrustは欧州の中世に起源があり、戦場に赴く兵士が
自らの財産を教会に寄進し、万一の場合、自らの家族が路頭に迷う
ことがないよう作り上げた仕組と言われています。寄進は
所有権の移転を伴い、寄進した財産はその時点で教会の所有物
となりますが、その財産の運用益を受け取る権利は家族が
保有することになります・・このようにして自らの財産を自身
から分離し、安全に次世代へ承継したわけです・・・

ちょっと日本人には理解しづらいですね。

Trsutは民間において自然発生的に始まったとされており、
当時から現在に至る欧州のながい歴史の中で培われたものです。

これに対し日本にも「信託法」に規定される「信託」という概念は
ありますが、その税法上の取り扱い、あるいは社会的な位置づけは、
Trustとは大きく異なります。これは「信託法」の制定時(1922年)、
その作成に携わった人が、当時お手本とした英米のTrustの概念を理解
しきれなかったからだと言われています。

おもしろいでしょ・・経済がグローバル化してくると、お互いの
文化の隔たりに目を向けざるを得ませんね・・・

では、今回はこのへんで。
(2008年2月5日)




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