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        | ■中国のこと みなさんこんにちは。
 
 久々に中国のことを書いてみたくなりました。
 
 中国という国の歴史を振り返りますと、その国力の盛衰に
 一定のリズムがあることに気付きます。
 
 例えば秦による中国統一から漢の滅亡に至る約400年、
 この時代はよく秦漢時代ともいわれますが、これは秦の
 成立が漢帝国出現のちょうど地ならし的な意味があったとの
 解釈からです。
 
 秦による中国統一はBC221年、滅亡は同206年。
 
 漢の建国はBC206年、滅亡はAD220年。
 
 この秦漢時代を一区切りにみますと、漢成立の初期段階が
 当時中国の国力のピークで、例えば7代皇帝の武帝時代
 (BC141~BC87)、東は朝鮮から西は中央アジアまで攻め込んで、
 その領土を広げました。
 
 従って秦の成立から数えて80年~130年程度の期間が、国力の
 ピークだっといえるでしょう、この期間は中国史上まれにみる
 国力充実の時期だといわれています。
 
 ところが武帝時代が終わると、漢はそこからは衰退の一途を
 たどり、一時「新」によって国を奪われるなどしつつ、細々と
 続いてゆくことになります。
 
 もう一つの例を挙げるとすれば、それはさらに
 時代が下って唐の時代ということになるでしょう。
 
 唐の時代はその前に興った隋(あの遣隋使で有名な)と併せ、
 隋唐時代などともいわれますが、これも先ほどの秦漢と同じく
 唐の基盤はその前に興りそして短命に倒れた隋によって既に
 形作られており、その意味で隋と唐を併せ隋唐時代と呼び
 ならわされてきたわけです。
 
 隋の建国はAD581年、滅亡は同618年。
 
 唐の建国はAD618年、滅亡は同907年。
 
 さてこの隋唐時代も先ほどの秦漢時代と同じく、その最盛期は
 成立の初期に訪れることになります。
 
 すなわち唐の2代皇帝太宗(AD626年~649年)、
 3代皇帝高宗(AD650年~683年)による治世、あるいは
 (その後の事情はやや複雑ですので端折りますが)これに
 玄宗(AD712年~756年)初期時代を含めていいかもしれません。
 
 当時のGDPを研究した資料は見当たりませんが、
 世界GDPの30%を中国一国で占めていたとしても私は驚きません。
 
 西はカスピ海沿岸から南はベトナムに至るまで、広大な版図
 を擁し、首都長安は世界中からさまざまな宗教、文化、商人など
 吸い寄せる世界の中心地だったといわれています。
 
 いずれにしましても、このあたりが隋唐帝国の最盛期で、
 この時期は隋の成立から計算して45年~145年程度の比較的
 短い期間ということになります、その後の唐は約200年間にわたり
 衰退の一途をたどりました。
 
 さらに時代は下り中国最後の統一王朝である清朝。
 
 清の建国はAD1636年、滅亡は同1912年。
 
 ご存知のように清は漢族にとって異民族である満州族が興した国、
 僅か30万人程度にすぎない彼らは、瞬く間に中国全土を制圧し
 ました。
 
 さらにその勢いをかって西に向かって膨張、バイカル湖畔に至る
 中央アジアを制圧し、中国史上まれにみる大帝国を築きます。
 
 清の最盛期もやはり初期の段階で、4代皇帝の康煕帝(AD1662~1722)、
 5代雍正帝(AD1723~1735)、6代乾隆帝(AD1735~1795)期に
 最盛期を迎えています。
 
 清の建国から計算し26年~160年ほどの期間のことです。
 
 その後英欧あるいは日本といった拡張主義の侵入を防げず、
 屈辱に耐えながら1912年の滅亡を迎えるに至ります。
 
 このように中国にかつて栄えた王朝の歴史を振り返りますと、
 いずれも成立後の比較的初期の段階(概ね30年~150年)に
 国力のピークを迎え、やがて外征による財政難や官僚の腐敗など
 が災いし徐々に衰退していったことがわかります。
 
 さて明日10月1日、お隣の中華人民共和国は建国から60年目を
 迎えます。
 
 歴史が示すように、彼らはこれから繁栄に向け加速してゆく
 のでしょうか・・・
 
 
 では、今回はこのへんで。
 (2009年9月30日)
 
 
 
 
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