■イジメの本質とその抑止策
みなさんこんにちは。
ヒトはなぜヒトをいじめるのか・・・
昨今の報道を目にしますと、身につまされる思いですし、
また私自身も小学生2人の親として胸が痛みます。
偶然にして同じ時代に、そして同じ地域に生を受けた者達が、
お互い助け合い、身を寄せ合うように生きてゆく、
これがヒト本来の姿ではないでしょうか。
にもかかわらず、なぜこのようなことが頻繁に
起きてしまうのでしょうか。
ヒトは群れを作り、群れのなかに居ることによって
より安全に生きることができるはずです。それがどうして
その群れのなかでこのような危険なめにあうのか・・
私は群れの発生とその発展の過程に、イジメの原因を
解くカギがあるように思います。
日本というこの島にヒトが住みついて、はじめて群れを
作り始めたころ、群れの目的は田畑を集団で運営したり、
狩りを集団で行う程度のもので、その構成員は多くても
せいぜい数十人程度のものではなかったでしょうか。
この程度の小集団が存続させるために、その構成員は
その生涯を通し、少なくとも自ら消費する以上のモノの
生産を要求されたはずです。
不幸にして十分な生産性を持たない構成員は、群れの足を
引っ張る、いわばお荷物として扱われたのではないでしょうか。
時代が下って群れの規模はやや大きくなりましたが、
常にヒトの生活は飢えの恐怖と隣りあわせであり、
群れの構成員は、あいかわらず一定の生産性を、群れから
要求され続けたのではないでしょうか。
考えてみれば生産性などという尺度は、ヒトが持っている多くの
個性のうちの一つに過ぎず、本来ヒトの尊卑とは何の結びつきも
ないはず・・・ただあまりに長く続いた飢えの時代のなかで、
生産性などという一個性が、あたかもヒトの尊卑を決定する
重大な要素として認識され定着し、そしてそれがヒトの思考回路のなかに、
時間をかけ刷り込まれていったのではないでしょうか。
我が国の歴史上、ヒトの生活が飢えの恐怖から解放されるのは、
ようやく明治時代以降のことですが、長きにわたる飢えの歴史の中で
続いたこの刷り込みは簡単には消去されず、飢えの恐怖から解放された
現代人の行動を今なお歪め続けている・・・これがイジメの本質
ではないかと私は思うわけです。
では仮にイジメの構図として、上記のような側面があったと
したなら、私たちはどのようにしてこのイジメをなくすことができる
のでしょうか。
意識下に刷り込まれた何ものかによってヒトがヒトをいじめる
のであれば、イジメを抑止するのもまた刷り込みであるべき
だと私は思います。
教育の現場でも、家庭でも、地域社会でも、マスコミも、
繰り返し繰り返し、そしてまた繰り返し、イジメがいかに
卑劣で悪で無意味かということを、子供たち一人一人に刷り込んでゆく、
これに尽きるのではないでしょうか。
地味で時間がかかる取り組みではありますが、
私たちが本気でこの問題の解消を目指すなら、
ほかに道はないのではないでしょうか。
では、今回はこのへんで。
(2012年7月19日)
■このコラムが一週間早くお手元に届きます
当社代表の田中が週に一回お届けする無料メルマガ「一緒に歩もう! 小富豪への道」
は下記からご登録いただけます。
「T's資産運用コラム」と同じ内容を一週間早くご覧いただけます、是非ご登録ください。
『まぐまぐ!』から発行していますので、ご安心ください。 |
|