■僕がまだ新卒だった頃
みなさんこんにちは。
今から40年ほど前、
僕は三洋電機という会社に入社しました。
ときどき思い出すのは入社式です、
入社式が終わって散会になったあと、
僕は広報部の人にインタビューを受けました。
「入社式を終えた感想は?」
正直言って僕はさして感動しませんでしたし、
「やるぞ!」という気持ちにもなりませんでした、
もともとアマノジャクだったのでしょう。
とくに広報部の人が期待するような初々しい感想もなく、
ただ頭の中にぼんやりあった本音を口に出してしまいました、
「僕が本当にこの会社に40年近くもいるのか、
正直言って実感が湧きません」。
今にして思えば、よくそんな不愛想なことを言ったものだと
思いますが、でもこれは僕の本音でした。
あとで社内ビデオを見たら、
この感想をしゃべる僕が紹介されていたので、
恥ずかしくなった記憶があります。
40年前の日本は、まだ転職などというものは一般的ではなく、
新入社員は60歳の定年まで勤めあげるのが普通でした。
なんで僕のコメントが紹介されたか知りませんが、
よほど変わったヤツだとおもわれたに違いありません。
上の感想にたがわず僕はそのあと転職し、
さらにその会社も辞めてこの事務所を作ることになります。
そういう意味で、僕が入社式で抱いた思いは、
ただしかったわけです、まるで預言者です。
40年勤めあげることなく、
たったの5年で退社しましたが、
僕はあのときの自分が間違ったとは思いませんし、
悔いもありません。
むしろさっさと会社というものに見切りをつけて、
やりたいことを始めた自分をほめてあげたい思いです。
よく考えると、
一つの会社にとどまっているのは、
さほどいいことだとは思えません。
たまたまその会社でよい仕事をあてがわれ、
没頭できる時期もあるでしょうが、
そんな幸運がいつまでも続くとは思えません。
人が会社という秩序の中で生きてゆく限り、
どうしても受け身にならざるをえません、
大きな組織であればなおさらです。
会社の中で唯一自ら道を切り開く方法があるとすれば、
それは他人が持っていない技術や知識、能力などを身に着けること
ではないでしょうか。
そしてそんな技能を身に着けられれば、
どんな会社や組織に行っても能動的に生きてゆけるはずです。
そういえば僕のお客さんでも、
そんな考えの人が増えてきたように思います。
50歳代の後半から日本語教師の資格を目指す人、
50歳で退職して調剤薬局を作ろうとする人、
40歳代になって医師を目指す人、
40歳になってから大学に入り、歯科医の免許を取得して開業した人、
50歳で大学院を目指し看護の仕事を極めようとする人
多様性の時代とよく言いますが、
こんな多様な生き方を目指す人が増えてきたのは、
日本全体にとってもすごくいいことだと思います。
一方で上の方々が、
もしそのまま会社勤めを続けていたらどうでしょう。
まあそれはそれで大過ない一生を過ごせるのかもしれませんが、
その人たちがもっている才能は開花せず、組織のなかで埋もれさせて
しまうだけです。
これってその方々にとってももったいないし、
大げさにいえば日本という社会にとっても大きな損失だと思います。
日本という国が今のように豊かな社会を作れたのは、
一人一人がもっている潜在力の高さによると僕は思います。
ならば、その潜在力を存分に発揮することによって、
日本は豊かさを維持できるはずです。
言い換えれば、
労働力をもっと流動化させ、
一人一人の才能をもっと大切に育ててあげることによって、
日本の経済はもっと成長できるのではないでしょうか。
なによりそのほうがよほど人の幸福感は高まると思います。
では今回はこのへんで。
(2023年8月3日)
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