ホーム > 連続読みもの(抜粋版) > 序−2.アジアと日本
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■アジアと日本

我が国の歴史を振り返ってみますと、
国力が充実し海外に向けて膨張していった時代が何度かあります、
古くは百済を援けて朝鮮半島に出兵したといわれる7世紀の中大兄皇子の時代です。
唐と新羅の連合軍にひどく負けたとされていますが、結果はどうあれ数万にも及ぶ大軍を渡海させ、
戦場に送り込むためには相応の国力の裏付けがあったことでしょう。
さらに時代は下って豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵では、延べ30万人という大規模な派兵が行われましたが、
これは室町時代以降起こった技術の進歩による農業生産の拡大や、
規制緩和による商業の発展抜きには考えられません。

さらに明治維新以降、特に日露戦争以降の百年は、
私たち日本人が経験した3度目にして日本史上最大の国力充実の世紀ではなかったでしょうか。

我が国は日露戦争に勝利し、世界の一等国の仲間入りを果たしますが、
膨張した自己の処し方を誤り太平洋戦争で大敗を喫しました。
敗戦を挟んではいますが、日本経済の拡大のモメンタムは明治維新からの勢いを維持し、
その流れは1980年のバブル崩壊をもって終わりを告げます。
言い換えれば明治維新という変革の勢いは、
太平洋戦争での敗戦という経済的な断層をもってしても止まることなく、
約120年続いたということになるのではないでしょうか。
そういう意味では、やはり先ほどの飛鳥時代、豊臣時代と比べ
よほど今回の膨張期のエネルギーは大きかったといえるのではないでしょうか。

このように過去3度に及ぶ我が国の海外派兵史を振り返りますと、
いずれもその直前に大きな社会変革、あるいは政権交代があったことがわかります。
政権の交代により社会や経済のシステムが大きく変わり、
そのことにより生産性が高まって一時的に国威が発揚する・・・このような傾向も見て取ることができます。
が逆にいいますと旧来の非効率な社会システムを覆すほどの力を備えた為政者(もしくは為政集団)にして、
始めて政権奪取後の社会改革を行うことができるともいえるのではないでしょうか。
そういう意味では政権交代によって、一時的に経済の生産性が高まって国威が発揚するのは、
あるいみ歴史の必然といえるのかもしれません。

別な見方をしますと、我が国の歴史上例えばお隣の中国、ご近所のインドなどに対して
圧倒的な経済力を持ち続けたここ百年のほうがむしろ稀有な時代で、
日本史上のほとんどの時期を通し、例えば中国は仰ぎ見るような大国でしたし、畏敬の対象であり続けました。
地理的にやや離れたインドに対しては、
いつの時代も物語に出てくる遠いおとぎの国として語られることが多かったようですが、
それでも天竺と呼びならわされ、仏教発祥の国としてある種の尊敬の対象としてみられてきたといえるでしょう。

一方で中国の歴史を振り返ってみますと、
我が国とは逆にここ100年ほどの経済的衰退は、中国史上まさに異常な状態だったといえます。

例えば唐の時代、最盛期には西はカスピ海沿岸から南はベトナムに至るまで、広大な版図 を擁し、
首都長安はさまざまな宗教、文化、商人など吸い寄せる世界の中心地だったといわれています。
一般に中国のGDPは、平均的に世界の20%〜30%を占めてきたといわれますが、
仮に最盛期の唐が世界GDPの1/3を占めていたとしても私は驚きません。

時代は下って清帝国による治世。ご存知のように清は漢族にとって異民族である満州族が興した国です。
僅か100万人程度にすぎない彼らは、瞬く間に中国全土を制圧しました。

さらにその勢いをかって西に向かって膨張、バイカル湖畔に至る中央アジアを制圧し、
世界史上まれにみる大帝国を築きます。
ところがその後ヨーロッパ諸国あるいは日本といった拡張主義の侵入を防げず、
屈辱に耐えながら1912年の滅亡を迎えるに至ります。
特にアヘン戦争(1840年〜1842年)以降は衰退が顕著で、
他国によって国土を蹂躙され続けるわけですが、
少なくとも1700年代の後半までは、まぎれもない世界の強国だったはずです。

その強国がなぜ僅か50年ほどの間に、
当時の新興国であるヨーロッパ諸国や日本の侵略を甘んじて受けるに至ったのでしょうか・・・

私はこの疑問を解くカギは、国家間の競争にあると思っています。

近代ヨーロッパの強さはどこにあるのかと考えますと、
それは彼らが歴史的に、あるいは民族的、文化的にも非常に近い関係にあるということ、
しかも彼らがあるときは分裂し、あるときは隣国によって併呑されながらも、
お互いに競い合い、時には模倣し合いながら発展してきたというところにあるのではないかと思います。
恐らく世界史のどこを見渡しても、これほど高いレベルで国力が均衡し、
しかも狭い地域にひしめき合うようにして、競争し続けた例はないのではないでしょうか。

競争がないところには発展はありません、
ヨーロッパが中世以降大きく発展した原動力は、この分裂と競争にあったのではないかと私は思うわけです。

これに対し、アジアの歴史をみますと欧州とは随分と異なった経緯をたどっていることが解ります。

特に東アジアという地域は、(少なくとも18世紀頃までは)良くも悪くも圧倒的な国力を保ってきた中国中心の地域で、
周辺の国々はごく僅かの例外を除き、ひたすら中国に恭順するか、あるいはいっそのこと同化してしまうことにより、
国としての命運を保ってきたといえるでしょう。

従って、そこにはヨーロッパでみられたような国家間の競争というものは、あまりみられなかったわけですが、
それでもこの地域が当時のヨーロッパに比べ、文化的にも経済的にも高い水準に到達できたのは、
中国という国の内側が、まるで後世のヨーロッパのように、地域ごと分裂や併呑を繰り返し、
その競争を通じ発展してくることができたからだと私は思います。

言い換えればアジアで圧倒的な国力をもってしまったがゆえに、
皮肉なことに中国は停滞し、欧州や日本の侵略を受けたといえるかもしれません。
繰り返しになりますが、これは世界史において、18世紀以降初めて現れた特異な状況です。

中国の突然の衰退と、日本の歴史上最大の膨張期の重なり・・・
まさにこれが我が国の明治維新以降、バブル崩壊に至る1980年代まで、
ほんの一時期訪れた“特別な構図”だったといえるのではないでしょうか。

そのような観点で現在の日中の力関係をみてみますと、衰退しつつある日本に対し、
日々世界のなかで存在感を高めつつある中国という対比はいかにも際立ってはいますが、
ここまでみてきたような両国の歴史に照らし合わせてみますと、
歴史の常態に戻りつつあるだけといえなくもありません。

私たちはいたずらに脅威を感じたり、不安を抱くのではなく、
むしろ中国やアジア諸国の経済的な発展を利用して、私たちの先達が先の“富裕な世紀”に蓄積した富を、
子や孫の代にどうやって引き継いでゆくことができるのか、冷静に考えてゆく必要があるのではないでしょうか。


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