■1500年続く会社、三方よしの企業精神
一方でそのような経済的な財産以外にも、
私たち日本人がその長い歴史の中で培ってきた無形の財産をいくつもみつけることができます、
例えば企業が持つ独特の経営理念です。
現在の英米型の企業経営の本質は何かということについて考えますと、
おそらくそれは「効率の追求」という一言に凝縮できるのではないかと私は思います。
投資家から集めた「資本」の利用効率を最大限に高め、
企業の所有者である株主に最大限のリターンをもたらすこと、これが彼らの言う“効率の追求”です。
企業の存続が求められるのは、企業の所有者である株主が利益を継続的に得るためであり、
投資ファンドはじめ大半の株主は、“企業の継続”や“社会への貢献”に意義を感じているようにはみえません。
企業が成長を求められるのは、企業の所有者である株主が、将来の利益を最大化したいがためであり、
副次的にそれが社会に貢献することがあったとしても、社会貢献自体が投資の目的になることはありません。
また彼らは、例えば現在のGEのように、従業員に対する研修を重視し従業員の質を高めようと努力はしますが、
それは従業員の成長のために行っているのではなく、一部の例外を除き単に企業の生産性、
言い換えれば資本の投資効率を高める手段として行っているに過ぎないわけです。
このように、彼らの企業経営の目的は、“資本”をどれだけ効率よく利用するか、
この一点に絞られているように思えます。
これに対して我が国の企業経営はどうでしょうか、
私はその根本的な質の点で大きな開きがあるように思います。
我が国には、世界でも類を見ない長い歴史(注)を持つ企業が多く、
例えば3000社以上が200年以上の歴史を持つといわれています、
それは我が国の企業が、英米の“効率の追求”型企業とは全く異質な価値観をもって
経営されてきたからではないでしょうか。
注)我が国最古にして世界最古の企業であった金剛組は飛鳥時代の創立、
1400年以上にわたってその事業を継承してきたといいますが、
残念ながら2006年自己破産。現在は
その流れを汲む新・金剛組が宮大工事業を継承している。
例えば“売り手よし”“買い手よし”“世間よし”の三方よしの近江商人の経営理念があります。
これは現代的に翻訳するなら「短期的な利益を追わず、
株主、従業員、取引先、顧客など、企業を取り巻く多くの関係者の利害を調整しつつ、
長期的な視点で経営を行う」ということになるでしょう。
このような日本独特の風土、慣習、文化の中で長年培われてきた価値観のうえ、
言わば二階部分として株式会社という英米からの輸入品が乗かっている・・・
これが今日の日本企業の姿なのかもしれません。
そのように考えますと、我が国の企業が一応は株式会社という形態をとりつつも、
英米の“効率の追求”型企業とは一線を画し、
長期的な視点で経営を行おうとする理由が理解できるような気がします。
株式会社の発祥は、オランダの東インド会社だといわれていますが、
その株式会社は英米の文化を背景に、20世紀を通して大いに進化、繁栄し、
今ここ日本においてまた新しい段階を迎えようとしているのかもしれません。
私達の先達は、常に海外から新しいものを導入し、
その都度うまく消化し、日本的なものに作り変えてきました。
これもまた我が国の歴史が、今を生きる私たちに残してくれた一つの財産ではないでしょうか。
2008年に起きたリーマン・ショック以降、
英米型の“効率の追求”型企業文化は転機を迎えつつあるように思いますが、
その点において我々日本人は何らかの貢献ができるのかもしれませんね。
あるいは私たち日本人が最も得意とするものづくりの能力。
世界を見わたしてみますと、大国と呼ばれる国はそれぞれ得意分野があることに気づきます、
例えばイタリアやフランスはファッションやデザインに優れていますし、
アメリカやイギリスは金融技術に秀でています。
インドといえばITですし、中国の得意分野は人海戦術による量産ということになるでしょう。
これらに対し日本人は、ドイツ人と並んでものづくりが大好きな民族といえるでしょう。
ものづくりといいますのは、ある意味他人の模倣によって洗練されるわけですが、
我が国の場合、ドイツと違って周囲に模倣し合える相手がいなかったぶん、
地理的に不利な位置にいたといえるのではないでしょうか。
我が国が本格的にものづくり分野で頭角を現すのは戦国時代、
オランダやポルトガルを通してヨーロッパの新技術に触れて以降のことではなかったでしょうか。
例えば鉄砲は15世紀中ばに日本に伝わったといわれていますが、
1600年に起こった関ヶ原の合戦では、早くも大量の鉄砲が使用されています、
この合戦は恐らく投入された鉄砲の数において、当時世界最大規模の戦いではなかったでしょうか。
既に鉄砲は、当時日本国内で量産体制が確立されていたわけですが、
テクノロジーの先端地域からこれだけ離れた孤島にいながら、
いったいどのようにして私たちの祖先は量産技術を確立したのでしょう。
やはりその原動力はものづくりへの執着心ではなかったでしょうか、かつて周辺に住んでいた幾多の民族が、
この島国の中で混血し日本人という民族が形成する過程のどこかで、
何者かが日本人のDNAに、こっそりと刷り込んでしまったとしか思えません。
19世紀の開国以降、ヨーロッパ諸国との接触が増えると、日本人のものづくり力は加速度的な発展を遂げます。
船舶、鉄鋼、航空機、精密機器、自動車、エレクトロニクス・・・まさに止まるところ知らずで、
いまなお私たち日本人は次々に新しいモノを生み出し続けているといえるでしょう。
ものづくりの能力が、他者が持つ技術との接触によって洗練されるなら、
今後私たちのこの特異な能力は、ますます発達を遂げることになるでしょうし、
それは私たち日本が、アジアの大国のひとつとしてなお一定の地位を保つ原動力になるかもしれません。
またものづくり同様、私たち日本人が持つ独特の文化も今後世界に通用する財産として、
高い価値を持つことになるのではないでしょうか。
日本人は特に室町時代以降、ヨーロッパや中国はもちろん世界のどこにも類をみない独特の文化を築いてきました。
茶の湯にみられる侘びさびの精神、能の幽玄に狂言の華、歌舞伎にみられる斬新、日本庭園の奥行き・・・
このように日本人が独自にはぐくんできた文化は、
現代のアニメや映画、ゲームのなかに息づき、いまでは世界の多くの人々を夢中にさせています、
使いようによっては我が国の文化も、私たち日本人に大きな富をもたらし続けてくれるでしょう。 |